キャリア

オーストラリアに来てから今までずーっと関わってきたプロジェクトが無事に本稼働を迎え、今日はその打ち上げランチ。自分が参加するさらに1年半前からスタートしているプロジェクトらしく、みんな感無量という感じのご様子。ネイティブだらけの飲み会は相変わらず激しく苦痛なんだけど、まぁでも多少は楽しめるようになってきたかな…。
んで、次のプロジェクトを探すことに。実は特に希望を出さなければとあるプロジェクトに行くことに決まってたんだけど、今まで働いてきた感じからちょっと違うことをやってみたいなぁと思ったわけで、別のプロジェクトを探させてくれ…と上司に相談したわけですわ。
日本では、あるプロジェクトが終わると「次は何しようかな?」と考えるのではなく、「次はこれやって」と仕事が降ってくるのが普通だった。もちろん文句があれば文句を言うし意見を言うことも出来るわけだけど、基本的には上司の方々が決めた戦略に沿って配属プロジェクトが言い渡される。
するとどういうことが起きるか。特に自分のキャリアを考えずに過ごしても、どうにかなっちゃう…っていう状況が発生する。次のプロジェクトが勝手に決まるわけだから。もちろん「このままでいいのかな?」とか「こういうことがしたいな」という思いは常にあれど、そこで自ら行動を起こさずとも流されるまま流されて年を重ねることが可能なわけだ。ほとんどのサラリーマンがそういう感じじゃないだろうか。終身雇用制からこういう文化が生まれているような気がする。
その場合、上司がキチンと自分の将来像・キャリアを考えてくれて配属先を決めてくれているのならばまだマシだが、そうではなくて単なる頭数の都合で配属先を決めてたりすると自分のキャリアがあやふやな方向に進んでしまう。それ以上に問題なのは自分のキャリアについて真剣に考えることを止めてしまうことだ。単純に言うと自主性がなくなってしまう。そして気がついたときには、自分の強みも弱みもわからず、淡々と仕事をこなすだけの人生になってしまう。
ところが、オーストラリアで仕事をしていると状況が違う。もちろん上司はキャリアについて相談に乗ってくれるし意見も言ってくれるけど、最終的には「それでお前はどうしたいのか?」と聞かれる。「自分のことは自分で決めろ。そして自分のことは自分で責任を持て」という文化があるように思う。だから、自らの意思で異動や退職をする人たちに対して怒ることもないし、悲観することもあまりない。「本人の意志であれば仕方がない」と。今のプロジェクトメンバは、ある人は社内の別のプロジェクトに行き、ある人は別の会社に転職し、ある人は会社を辞めてしばらく休んだりする。自由気ままに行動しているようにも映るけど、各人が自分のキャリアや人生において何が重要で今何をすべきか?ということを真剣に考えているように思える。
では自分の場合はどうなのか。今回、次のプロジェクトを選ぶという、ある程度の自由を与えられた中で、いかに自分が自分自身のキャリアについて明確な意思・考えを持っていないか…という事実について思い知らされた。いったい自分は仕事に何を求めていて、どこを目指しているのか?まだ明確な答えはないが、今後は常日頃から今の仕事と自分のキャリアについて考える機会を持ち、理想と現実のバランスを考えながら自ら意思決定して行動できるような主体性を持ちたいと思う。