働くということ

およそ10年前、会社の面接を受けるために、当時住んでいた仙台から新幹線に乗り込んで、一人、東京に向かった。色々な事情があって急遽就職することになり、悩みながらも面接を受けに来た…という感じだった。
面接が何時に終わったのか詳しくは覚えていないが、とにかく早めの時間に片付いた。東京に一人で来ることなぞ今まで経験したことがなかったので、折角の機会だからどこかに行ってみるかな…と考え、突然、「昔住んでいた家を探してみよう」と思い立った。
私は小学校2年生まで東京の赤羽に住んでいた。そこから群馬に引っ越すことになるわけだが、その日以来、当時住んでいた家やその近所に立ち寄ったことはない。当然記憶も曖昧。「赤羽に住んでた」ことだけが正確な記憶として残っている。よくそんな状態で家を探そうとか思い立ったな…と、今考えると無謀とも思えるが、当時はそこまで深く考えていなかったような気もする。
とにかく赤羽駅で降りた。家が西口にあるのか東口にあるのか、どちらかさっぱりわからない。そもそも駅周辺が近代化されすぎている。15年近くも経てば当然といえば当然だが。一度踏み出した方角になんとなく違和感を感じ、別の口から出てみたら、うっすらと記憶に残る商店街の道を発見して、そこを辿って歩いた。
10分ほど歩いたが、当時の記憶に残る風景が一切出てこない。やっぱ方向を間違えたかな…と思ってふと冷静に周りを見回すと、もうすでに自分が住んでいた家の前まで来ていたことに気がついた。ただ気がつくのが遅れた。あまりにも全てが小さすぎて。幼少だった自分の記憶では、家の周りの道はとても長く、近所の公園はとても広かった。家から駅まではとてもとても長い道のりで、片側3車線程の幅の広い道路を横切らなければ着かなかったはず。
でもそれらは小さな自分の記憶。大人になった自分からみると、実際にたどり着いたその場所はあまりに小さかった。感覚的には3分の1くらいのスケールだ。当時住んでいたアパートも、老朽化が進んでいることもあるが、経過した年月は別にしても、とてもとても小さく、聞こえは悪いがみすぼらしく見えた。お世辞にも「立派な住居」とはいえない。
小さな頃から何不自由なく育てられた記憶だけがあって、お金がたくさんあるわけでもないけど、全く無いわけでもない、所謂日本の中流家庭としてずっと過ごしてきたと思っていた。お金に関することで不自由を強いられた記憶もないし(貯金しろとは良く言われるけど…)。けどその当時の家を見て、当初から豊かに過ごしていたわけではなく、今の家庭は自分の両親がとても苦労して築きあげてきたんだな…と気がついた。
幼少の記憶なので正確ではないかもしれないが、うちの家庭では父親が働くのはもちろん、母親も常に働いていた。家で内職をしたり、コンビニで働いたり。群馬に引っ越して来てからは百貨店でずっと働いていた。平日は9時頃に出勤して夕方6、7時に帰宅し、土日は仕事で水曜が休み。毎日慌しく働いていた印象がある。仕事が忙しいからといって家事をおろそかにするわけでもなく、朝は自分たちよりも早く起きて朝食やお弁当を用意し、出勤前に洗濯・掃除を行い、夕食もほとんど毎日手料理で、インスタントに済ませる料理、所謂冷凍食品や外食といったものはほとんどなかった。社会人になった今だからわかるが、これはとても凄いことだと思う。
仕事そのものに対してもとても真摯に取り組んでいて、売り上げが低かった日などは悔しさを口にすることはあるものの、お客様の文句は聞いたことがない。長期に休みを取った記憶もないし、多少体調が悪くても仕事に出かけていた。多分、仕事そのものが好きなんだ思う。そういう雰囲気が伝わってきていたもの。その仕事に対する姿勢は、少なからず今の自分の仕事に対する考え方に影響を与えているとも思う。
そんな母は、人前に出る仕事柄からかもしれないが、いつも凛としていて自慢の母親だった(マザコンなわけじゃないよ)。
今日はその母が退職する日。
いつも働いている母の姿が強く印象に残っているので、退職する…と聞いてなぜかちょっと寂しい気持ちになった。母の年齢を考えると当然といえば当然なんだけど、時の流れを感じずにはいられない。自分の中の親のイメージと現実とが乖離しているような。自分が年を取れば、当然同じ分だけ親も年を取り、いろいろな節目を迎えるんだと、至極当たり前のことに改めて気づかされる。
今までの働いていた月日(おそらく25年前後?)を考えると、とてもとても大変だっただろうと思う。「働くこと」自体が母の人生の一部として大きな比重を占めていたことは間違いない。「働くこと イコール お金を稼ぐこと」以外に、母は仕事に対してどのような価値を見出していたのだろうか。母が今日という日をどんな気持ちで迎えているかはわからないが、これからは無理をせずに健康に気をつけて、自分のやりたいことにゆっくりと時間を費やしてくれれば…と願う。
とにかく、長い間お疲れ様でした。俺もいい加減に親孝行をしないとなぁ…。