誰が最初に走りはじめたのか

僕は別に経済学者でもなんでもない一般人なので、以下はあくまで個人的に感じること。
こっちに住んでて思うことは、全てがマッタリしていることだ。簡単に言うとサービスレベルが低い。お店は夜遅くまでやっていないし、休日閉まる店も多々ある。TVは外国の番組をただ流すだけのものが多いし、電車は工事で休日運休になっちゃったりする。エレベータが途中で止まったこともあるし、止まっているエスカレーターなんてそこら中にある(乗っている最中に止まったことも)。荷物は指定日配達してくれないし、届くまでの日数も数日はかかる。
で、こちらに住んでいる人もそれらに対して文句を言っている。けど、なんかあまり本気っぽくない。「まぁしょうがねぇよなぁ」くらいにしか考えてないんだと思う。「なるようになるだろ」と。
でも、それでもなんかみんな幸せそうだ。マッタリを楽しんでいる感じがする。たぶんサービスする側もマッタリ気分だし、される側もマッタリ気分だから、お互いが気がつかないんだろう。
そう考えると、何で日本はセカセカしたイメージだったんだろう?サービスレベルは明らかに日本が上(たぶん世界で一番)。それでも不平不満を言う。電車がちょっと遅れれば文句をいい、店の対応が悪いと愚痴をたれる。サービスレベルが高い水準で標準化されてしまっているから、ちょっとしたサービスの劣化が気になるようになってしまってるんだろう。そのサービスレベルを保つためにみんな頑張って働く。周りのサービスに負けないようにとこぞって走り出す。
よく小さいころ、友達と早歩きで競争とかしなかった?だんだんムキになって、最後にはみんな走りだしているっていう。
まさになんか、そういう印象を受ける。オーストラリアではみんなが歩調を合わせるように歩いている。日本では走り出した誰かを追い抜くために次々と走り出し、結果的に全員が走っている。
サービスレベルが高いことはいいことだし、日本人として誇りに思うことだけど、もうちょっとスピードを緩めることは出来なかったのかなぁと思ったりもする。全力で走ってお金を大量に生み出して、それを大量に消費する…。エネルギーを激しく循環させているような、そんなイメージ。
おそらく世界レベルで物事を考えなければならない時代だから、日本だけが歩調を弱めるわけには行かない。世界レベルで歩調を緩めれば、みんなゆとりが出来て幸せに暮らせるような気もする。「明日から全世界で30%一律にスピードを落とします」みたいな。
いったい誰が最初に走りはじめたんだろう…?