ちょうど7年前

うちの犬がこの世を去ってからちょうど7年が経った。その日に書いた日記を読み返してみて、やっぱりとても悲しくなったけど、それでもうちの犬と出会ってよかったなぁと思った。今でも僕の心の中で、当時と変わらずにはしゃいでいるよ。

2001.06.09 土曜日
早朝と深夜にかかってくる電話というのは、大抵あまりいい知らせではない。
この日は土曜日だというのに朝の7時に自宅の電話が鳴った。自宅の電話番号を知っているのは相方と 親だけだ。なにかあったに決まってる。受話器を取ると親父の声が聞こえた。
マッピーがたった今、死んだから…」
その言葉は一瞬にして脳みそを駆け巡ったが、寝起きということもありあまり意識に浸透してこない。 なにより唐突過ぎる。2,3言葉をかわし、今から電車で帰るということを伝えて電話を切った。しばらく ベットの上でボーっとしていた。事実として認識できない。現実味がない。悲しみも訪れてこなかった。
会社に行くときと同じように支度を済ませ、会社に行くときと同じような時間に寮を出た。電車に乗っている間は 外を見たり新聞を読んだりと普通に過ごした。あまりそのことについて考えをめぐらせたくなかったから。 感情をそちらのほうに向けたくなかった。
実家の近くの駅につきしばらく待つと親父が車で迎えにきた。乗り込んで挨拶をしたがそれ以上会話はなかった。 その無言の空間が、事実を肯定しているような気がした。家が近づいてくるにつれ悲しみが襲ってきた。心の中で 客観的に事実を受け止めろと言い聞かせた。おれは感情を理性が飛び越えてしまっているような人間なので、 心からなにかに感動したり悲しんだり喜んだりというのは難しかったりする。だから客観的に物事を捕らえ、 感情を押さえ込むことは得意だった。だけど、和室で横たわっているその姿を見たとき、自分の感情を、 どうすることもできなかった。
座布団の上にタオルが敷いてあり、その上にマッピーは寝ていた。肩まで上からタオルが掛けられていた。 まるで昼寝をしているみたいだった。その亡骸の前に座り込み、一時間ほどぼーっとしていた。こんなに 悲しい気分になったことは今までに一度もない。時々津波のように悲しみが押し寄せてきて、洗面所と和室を 何回か往復した。
昼飯を終え、姉と一緒にマッピーの体を拭いてやることにした。丁寧に拭きながら、今日のことを 姉が話してくれた。
最近、ずっと調子が悪かったマッピーだが、昨日の晩は何かいつもと様子が違うように感じたらしい。 姉の部屋は2階にあるのだが、ドアを開けたまま寝ることにした。大体深夜の4時ころに、犬の鳴く声が 聞こえた。それがマッピーか、それとも近所の犬か、それとも単なる夢の中の出来事だったかはわからないが 下におりてマッピーの様子を見てみた。マッピーは起きていた。なんとなく心配だったため、居間にあげて しばらく様子を見ることにした。いつもはそうしているうちにマッピーが寝てしまうのだが、この日は そうではなかった。朝の6時くらいになり、突然様子がおかしくなり、慌てて両親を起こした。それから しばらくしてこの世を去ったという。
そんな話をおれに聞かせている間、姉はまったく泣かなかった。普通に装っていた。おれにはそれが できなかった。話に頷くことはできても口を開くことができなかった。
2時ころになり、親戚のおじさんとおばさんがやってきた。マッピーをプレゼントしてくれた人だ。 病院で買ってきた「簡易棺おけ」(こういうの、売ってるんだねぇ)と花束を買ってきてくれた。 マッピーに会い、その言葉を聞いていたらさらに悲しくなってきた。話し掛けられてもなにも言い返すことができなかった。
マッピーを姉と二人で棺おけの中に寝かせ、親父と3人で庭から適当に花を毟り取り、棺おけの中に添えた。 バラの花が花瓶にあり、それにしようかという話も出たのだが、うちの犬は庭に咲いているパンジーとか、雑草のほうが 似合っているということになったのだった。
マッピーを連れて親父と姉と3人で車に乗り込んで、あらかじめ予約を入れておいた火葬場に向かった。その途中で 会社に行っていた母を拾い、家族4人で言葉少なく時間を過ごした。母が「だから犬を飼うのは嫌なのよ…」と 言った。犬を飼うことに反対していたのは母だったのだ。その悲しみを昔味わったことがあったから。その言葉に対し、 「でもいろいろ幸せな思い出ができたよ」と姉が言った。そういったやり取りをただ外を眺めながら聞いていた。
火葬場についた。この日は他の葬儀がないらしく、比較的大きな火葬場だったにも関わらず静けさに包まれていた。 ちゃんと動物用の火葬場というのが一角に設けてあり、そこにマッピーを連れて行った。火葬場の人の話を聞きながら、 マッピーの寝ている棺おけを鉄の台の上に載せた。ふたを取った。マッピーの寝顔を見ながら、もう本当にお別れなんだなと思った。 家族みんながそれぞれマッピーに別れの挨拶をした。姉と母は泣いていた。親父も泣いていたのかもしれない。 「最後は自由な姿で寝かせてあげなさい」と親父が俺に言った。いつも見慣れた赤い首輪をマッピーの首からはずした。 手が震えた。死ぬほど悲しかった。棺おけのふたが閉められ、永遠の別れを迎えた。
時間が来るまで控え室で待つことになった。日当たりのよい、大きな控え室をたった4人で占領した。それぞれ言葉を交わすことなく 別々の場所で時を過ごした。おれは外の風景を眺めながら、考えないように、考えないようにと言い聞かせても、次から次へと 頭に浮かんでくる思い出を反芻した。おれはマッピーに会えて本当に幸せだった。小学校5年から約14年間に渡っていろんな 思い出を与えてくれた。俺の人生の半分以上を共に過ごしたことになる。馬鹿で臆病でよわっちかったけど、本当にかわいいやつだった。 どれだけの安らぎをもらったか知れない。でも、マッピーは幸せだったのだろうか。ごく平凡なうちの家族に飼われた その一生、幸せだったのだろうか。そんなことを考えているうちに時間がきた。
ただ骨だけになってしまったマッピーを骨壷に収め家に帰った。途中で線香と線香たてを買った。和室の机の上に写真と首輪と 共にマッピーを置いた。1週間ほどは家で過ごさせ、その後に庭に埋めることになった。
もう2度とマッピーに会えないという事実は恐怖にも似た悲しみをもたらした。本当に「恐怖」なんだ。この世の中、2度と訪れない 機会というのは実は少ないような気がする。一度逃したチャンスは別の形で、違う方法でたどり着ける。でも「死」はそうはいかない。 もう世界中どこを探しても、どれだけ時が経とうとも、もう二度と会うことはできない。これ以上の恐怖はないように思う。 だってさ、昨日の同じ時間はちゃんとこの世に存在していたんだ。それがたった1日で骨壷に収まってしまっている。 こんなに悲しい気持ちになるとは思わなかった。こんな感情は初めて味わった。
この日の夜のうちにおれは寮に帰ってきた。なにか、夢の中にいたような1日だった。実際夢だったらいいのになぁ。 今だってなんだか信じられない。実家に帰ったらいつもと同じように不器用に尻尾をふりながら愛想を振り撒いてくれるような 気がする。天国って世界があるとしたら、マッピーは何をしてるんだろ。ただっぴろい草原をただひたすら楽しそうに 走り回っているのか、それとも大きな木の木陰でボーっと寝て過ごしているのか。いずれにせよ、幸せに。 長い間、ありがとう。